自分や自分の作品について書きたいと思うことがない、ニヒリストかさもなければ分裂症だ、というあたりが圧巻だと思う。
奥付のペンネームへの言及がなんだか変。
本を読んだらブック オプ
図書館で山田風太郎『わが推理小説零年』を借りてきて読む。その中に「処女膜は人間の女性とモグラの雌にしかない」みたいなことが書いてあり、そんなに特殊なものなのかと意外に思ってウィキペディアで確認したらモグラ以外にもいろんな動物にあるらしいとわかる。
哺乳類はいうにおよばず、鳥類、爬虫類、そしてなんと貝類にも。
昭和24年の時点で判明していたのがモグラだけだったのか、山田先生が(試験直前には原稿の依頼を断るなど決して名ばかりの医学生ではなかったらしいので)たまたまそこのところだけ勉強をサボったのか、あるいは話を面白くしようとして思いっきり単純化して書いたのかもしれない。
ある人物Aが殺人容疑で留置所に入れられてしまう。そして物語は取り残された人々を中心に進んでいくのだが、しばらくするとAにはなじみの囚人仲間でもできたらしく、p.258に
例のガラス壜の破片の紳士が坐りこんで、さかんに身の上話をしてきかせている。
という描写が出てくる。
「例の」? はて、そんな紳士出てきたっけか? と、すっかり記憶力に自信を失いつつ、ページを遡って探していく。
するとp.234に、Aの身を案じる人物Bの述懐として
ついこの間の新聞にも、それまで一面識もなかったような少女を犯した上、絞め殺した男のことや、また別に、居酒屋の喧嘩で、女をガラスの破片で殴って傷つけた男のことが出ていたが、
とあるのが見つかる。
Aがそんな犯罪者たちと一緒くたに勾留されているのではないか、とBは心配しているわけだ。
が、この段階では「女をガラスの破片で殴って傷つけた男」はあくまで「そんな犯罪者たち」の一例、ないしは「留置所に入ったらおそらく出くわすであろうような種類の人間」をイメージさせるものとして挙げられているようにしか読めない。
いくら似たような時期に逮捕されたとはいえ、どこで起きた事件だがわかったものじゃないし、それがAと同じ留置所に入れられようとは、ふつう一般には考えられない。仮にBが「ガラスの破片」云々を眼前にまざまざと思い浮かべていたところで、それはむしろ杞憂というか妄想と呼んでいいだろう。
というわけで、p.234の新聞紙上のガラスの破片の男は、われわれ読者の記憶からすぐさま消え去ってしまうのである。
が。
それがp.258の「一方そのころAは」のくだりになって突然、あたかも既知の人物であるかのごとく「例のガラス壜の破片の紳士が」などと具体化されてしまうのである。
このユーモアのセンスがたまらない。こういうのは映画とかなら比較的やりやすそうだが、活字でやるにはかなりの技巧を要するのではなかろうか。
ただ、この手の面白さは初めてではないような気もする。中井英夫の『虚無への供物』の、たとえば鴻巣玄次。あれがこんな感じじゃなかったかな。
山村正夫『わが懐旧的探偵作家論』(日本推理作家協会賞受賞作全集32, 双葉文庫)読了。1975年『幻影城』創刊にあたり島崎博編集長の要請で連載されたもの。著者はあの『湯殿山麓呪い村』の作者、なのだが実は題名しか知らない。
採り上げられてる作家は以下の20名。○は読んだことのない作家、◎は本書で初めて名前を知った作家。(大坪砂男は新青年傑作選みたいなやつで1作くらいはあったかも)
氷川瓏は乱歩の『十字路』の協作者・渡辺剣次の実兄だそうな。
昔読んだ(が、すっかり内容は忘れている)ロナルド・A・ノックス『陸橋殺人事件』(創元推理文庫)再読中。
皮肉の応酬が楽しい。英国古典ミステリというのはかの国における「サザエさん」のようなものなのではないかと思う。ロバート・L・フィッシュの殺人同盟の3人を思い出す。
一番は武田泰淳『富士』なんだけど、それに次いで印象深かったのがD・W・バッファ『遺産』(文春文庫)。弁護士ジョーゼフ・アントネッリが主人公のシリーズ第4作。
出てすぐ買ったはいいが長らく積ん読状態で、しかも途中で一度読み出しかけて挫折している。たぶん最初のほうの法律事務所の面々や実業家夫妻なんかの晩餐シーンが当時は退屈に思えたせいかも。が、去年やっと本腰を入れて読んでみたらこれが面白い。
このシリーズは有能な弁護士であるアントネッリが法廷では勝利をおさめるものの、毎回のように何かしら心に深傷を負うような展開が待ちかまえていて思わず「何もそこまでせんでも」とつぶやきたくなるような理不尽さが特徴だったりするのだが。
今回もやってくれるというか。
法廷シーンの大詰めでは「ぐはっ、そう来たか」と最初のけぞり、そしてすぐ「しかしそこまでやるか。この先どうすんだよ……」と鬱に沈みこんでしまった。
巻末解説でも「人生派」などと呼ばれているように、視点人物でもあるアントネッリは法廷以外の場ではさほど饒舌ではなく、どちらかといえば内省的なタイプ。サンフランシスコの町を眺めながら幼いころに祖父から聞かされた逸話を思い出すあたりなど、なんとなく村上春樹の小説(といっても最近のはどんなか知らないけど)のような雰囲気も漂う。
が、この作品では一皮むけたというか、どんでん返しと伏線がビシッと効いていてエンタテインメントとしても申し分ない。日本は大統領制じゃないから設定にちょっと難があるけど、もし田宮二郎とか岡田真澄とか岸田森といった面々が生きてたらドラマか映画になったのも観てみたいもんだがなぁと思った。
レックス・スタウト『手袋の中の手』(ハヤカワ・ミステリ)を読みはじめる。
女嫌い(ただし接し方は慇懃無礼)の美食家探偵ネロ・ウルフは登場しないが、こちらの女探偵ドル(シオドリンダ)・ボナーもいきなり「わたし、男は嫌い」(p.25)ときたもんだ。
アーチーのおどけた一人称じゃないので少々とっつきにくくはあるものの、冒頭からいかにも怪しげな人物は出てくるし飽きることはなさそう。