図書館から借りてきた『別冊文藝 山田風太郎』(河出書房新社)を拾い読み中。
敗戦の日だからというわけではないが、谷口基というひとの文章「滅失の神話」が、短いながらも山田風太郎という作家の一面を見事に捉えていて感銘深い。
本を読んだらブック オプ
図書館から借りてきた『別冊文藝 山田風太郎』(河出書房新社)を拾い読み中。
敗戦の日だからというわけではないが、谷口基というひとの文章「滅失の神話」が、短いながらも山田風太郎という作家の一面を見事に捉えていて感銘深い。
ロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』(河出書房新社)を図書館から借りできて読了。
EQMM等で活躍した短篇専門作家とのことだが、見事にバラバラな作風でどう受け止めたらいいのかよくわからない。
わりと目につきやすいのは「誰かに操られている」というテーマがさまざまに形を変えて頻出することだろうか。それをサイコホラーやSFに越境せず犯罪小説というジャンルに踏みとどまりながらやってみせるあたりがスリリングではある。
編者の法月綸太郎による解説は整理がいきとどいていて参考になる。この人はやっぱり評論家のほうが向いてるのかなぁ。
マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(早川書房)読了。
主人公クリストファー少年の一人称。途中、コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』のネタバレあり。古典だからといってネタバレが許されると思ってるのか!!
でも子供の頃に読んだきりなので実はネタバレがどうかさだかではない。クリストファー少年が真犯人を間違えて憶えてるのかもしれない。ましてそのネタバレが養護学校に通う自閉症の少年によるものであれば、一概に怒るわけにもいかないような気もしてくる。
冒頭に起こった犬の事件が後半になってどうでもいいような扱いになってくるのがやや残念。結局この犬の事件というのは、そうは書かれていないけれども世に言う「自分探し」というやつの、単なる足がかりの役割しか与えられていなかったのだろうかと思うと一抹の寂しさが残る。
面白かったのはクリストファー少年が再三にわたって「これは隠喩ではなく直喩だ」とこだわるところ。「モンティ・ホール問題」というのはこの小説を読んで初めて知る。少年のよくみる夢というのが、いまだに忘れがたい星新一の「殉教」という短篇のラストシーンに一脈通じるものがあって興味深かった。
正直言ってあんまり面白くない。解説で平岡篤頼氏は
小説『箱男』の構造がいかに画期的な新しさを秘めているかを解明するには、(中略)かなり抽象的かつ専門的な議論を展開しなければならないから、ここではひと先ず差控えるが、
と書いているが、そんなことしなきゃ楽しめないようじゃ名作とは言えないんじゃないか。
でも103頁の「そう、ラジオ。じつは以前、」から始まり106頁の終わりまで駆け上がってゆく一節、ここばっかりは感動して涙が出そうになった。この部分だけスパークして見える。
昭和30年代、市電と地下鉄が並存する東京。殺人事件が起こり警察が捜査にあたるが、とぼけた味わいの登場人物が多くのんびりとした雰囲気である。
なまじ文章が闊達でスラスラ読めるだけに、少しでも不自然な箇所はパッと目につき、犯人はわりと簡単にわかってしまう。だからといって単純な風俗小説というわけではなく、ことに犯人を絞り込んでいく過程はきわめて論理的であり、本格探偵小説の醍醐味を満喫させてくれる。
惜しまれるのは犯人の名が明かされたあとに謎解きがおこなわれるという構成になっている点であり、これはできれば消去法の果てに初めて犯人の名が指し示されるという形であってほしかった。もっとも、すべての本格ミステリがクイーンの『フランス白粉の謎』のようであるというわけにもいかないだろうが。
証拠品隠滅のトリックには気がつかなかった。これはなかなかいける。
今ふと気がついた。というか今まで気がつかなかったのだが。
創元推理文庫の表紙をめくると最初のページに横書きで、その本の「あらすじ」とか紹介文が載っている。裏表紙にある文章とほとんど同じなんだけど細かい言い回しは微妙にちがう、ものによっては全然ちがってたりするやつ。
あれがどうも、今のところ2冊ばかりでしか確認していないのでさだかではないのだけれど、読点に「,」つまりカンマを使っているようなのだ。
たしかに理数系の書籍などでは「,」が主流だと思われるが、創元推理文庫のような主に小説を扱うシリーズでは珍しいのではないだろうか。
さらに珍妙なのは、読点に「,」を使うなら句点には「.」つまりピリオドを使うのが普通だろうに、創元の説明文の場合、句点のほうには「。」つまり「まる」が使われているのだ。
ホント変な出版社だな(笑)
山田正紀『風水火那子の冒険』(光文社文庫)読了。(表紙はノベルス版のほうがイメージに近いような気がするんだけど文庫で)
前半2作「サマータイム」「麺とスープと殺人と」には魅力を感じない。特に後者はギャグ漫画じみたノリが情けないし、それこそラーメンじゃないけどグダグダしてて胃にもたれる。
中篇だから緻密な推理の過程がないのは致し方ないにしても、タイトルに反して風水火那子が「冒険」してるようには全然みえず不満が募る。
が、後半2作でこの評価は一挙に覆る。
「ハブ」では1つの作品の中で全く別の2つの事件が提示され、まるで女囮捜査官シリーズのエッセンスがギュッと濃縮されたかのような読みごたえ。サスペンスとユーモアが見事にブレンドされた状況設定、小説としての構成の心憎いばかりの巧みさ、いずれをとっても文句なし。
最後の「極東メリー」は日本海への領海侵犯という時事ネタに古典的な幽霊船テーマを絡め、一種のファンタジーとしての仕上がりを見せている。ストーリー中に配置されたサブストーリーの組み込み具合もすっきりしていて印象がよい。
千街晶之氏による巻末解説では、以上4作に共通する点として
事件の謎そのものには関係がない筈の捜査関係者(またはそれに準ずる立場の人物)の日常や心情や生い立ちなどが、多かれ少なかれ描き込まれていること
が挙げられている。一瞬「それは『阿弥陀』からすでにそうだったのでは?」、また描かれる心情というのがときとしてショボいもの(特に「麺とスープと」の警部補!)だったりしたので「敢えて指摘するようなことなのか?」と思ったりしたのだが、そこから火那子シリーズの「隠しテーマ」へと掘り下げていく筆致はさすがであり、これくらいの解説がもっと増えてくれればいいのにとつくづく思った。
E・D・ホックは木村二郎のマンネリ気味の訳が退屈で『サム・ホーソーンの事件簿V』も実はいまだに買ってなかったりする。
このアンソロジーに収録された「謎のカード事件」も、木村訳でこそないものの、主人公ランドのもとへ知人の遺児、それもしばらく会わないうちにすっかり美人に成長した娘が訪れ、
「あなたは暗号解読にかけては専門家だって、母が言ってたわ。頼りになるのはあなただけだって母があたしに電話でおしえてくれたのよ。それに、あたしはなにか困ったことがあるといつも年輩の方に相談をもちかけることにしてるの」
にわかにランドは自分が古代の遺物にでもなったように感じた。
などと書かれているシーンを読むと、なんだってアメリカの作家のギャグはこんなに自意識過剰で湿っぽいんだ、とウンザリしたりした。
また、クリーヴランド・モフェット「謎のカード」への解答としては「まぁ結局そういうことだったワケね」という感じで意外性もなんにもない。
が、独立した作品として見てみると、さすが短篇の名手と言われるだけのことはあり、特に伏線のちりばめ具合には目をみはらされる。宮原龍雄「新納の棺」についての編者の評にもあるが、やはりさりげなさというのは重要だなと痛感した。
冒頭の「道化の町」を除いて収録順に。