2007年11月30日

図書館で読んだ小説

遠藤周作「戦中派」(『遠藤周作文学全集 第8巻 短篇小説III』所収)
出征する友人から別れ際に渡されたバイオリン独奏会のチケット。そのコンサートの前夜に東京はB29による大空襲に見舞われる。
遠藤周作「学生」(『遠藤周作文学全集 第8巻 短篇小説III』所収)
『短篇小説I』所収のほうはフランスの抗独組織の労働者が新入りの学生に嫌悪感を抱く話。こちらは戦後まもなくカトリック神父の尽力で日本からフランスに渡った留学生たちとかつて九州からポルトガルに渡った天正遣欧少年使節をパラレルに描いた作品。
遠藤周作「アデンまで」(『遠藤周作文学全集 第6巻 短篇小説I』所収)
現地の女に愛されながらも一緒になる気にはどうしてもなれず、逃げるようにフランスを発つ日本人青年。船は酷暑の中をアフリカ大陸に沿って進み、同じ四等船室(=積荷用の船倉)には黒人の女が病に臥している。青年が日本に帰るのかどうかは不明。
遠藤周作「白い人」(『遠藤周作文学全集 第6巻 短篇小説I』所収)
同巻所収の「学生」と同じく第二次大戦でのドイツ占領下のフランスが舞台。萩尾望都『トーマの心臓』のユリスモールの暗い回想シーンを思い出しつつ読む。ただしこの小説の主人公は『トーマの心臓』でいうと退学させられる上級生のほうにあたる。
遠藤周作「黄色い人」(『遠藤周作文学全集 第6巻 短篇小説I』所収)
第二次大戦末期、肺を患って郷里の町に帰ってきている青年。徴兵されていった友人の恋人と毎週のように寝ている。この町に住む二人の西洋人(牧師とその前任者)を通して「白い人」での善と悪の対立を再現しつつ、そこにこの日本人青年を介在させることによりテーマを深化させている。
遠藤周作「パロディ」(『遠藤周作文学全集 第6巻 短篇小説I』所収)
妻の良妻賢母ぶりに言いようのない不満をおぼえていく男の手記。
遠藤周作「夏の光」(『遠藤周作文学全集 第6巻 短篇小説I』所収)
植民地満州の日本人住宅地で井戸水による中毒事件が頻発。ジャンルもテーマも全然ちがうが、ヒラリー・ウォーの『この町の誰かが』を思い出したりした。動揺するコミュニティの姿が医者の息子である少年の目を通して描かれ、少年の家で交わされる関西弁や無邪気な幼い妹の存在などが却って残酷さを際立たせている。
久生十蘭「心理の谷」(鈴木貞美編『モダンガールの誘惑』平凡社)
唐突に久生十蘭。高所恐怖症の男が大陸生まれの闊達な娘に翻弄される話。最後の展開がちょっと安っぽいラブロマンスみたいで不満。

2007年11月29日

昼夜を徹して

ホテルの部屋に帰ると普段の反動からかテレビのニュースばかり見ている。額賀財務大臣が報道陣に対し「昼夜を徹して調べたが(贈賄容疑の渦中にある商社役員との会食に同席したという)記録はなかった」と答えていたのを見て違和感をいだいたのは私ばかりではあるまい。

まあ、自分のこととはいえ何年も前の話だ。そんなことは憶えてない。そこで書類をひっかきまわしてみたり人にも問い合わせてみたりした。その結果、同席の記録は残っていないことがわかった。それでもあんたたち疑うのか。そう言いたいのはわかる。

どうだ参ったか。八方手を尽くして調べたんだ、おまえらありがたいと思え。返す刀でそんなニュアンスも漂ってくる。

でもやっぱり「昼夜を徹して」というのは大袈裟というか、どうにも文脈にそぐわない。

そんな折、携行していた武田泰淳『滅亡について』(岩波文庫)に実にしっくりくる一節があった。第二次世界大戦後に出版された「日本の将兵が戦犯として収容所に入れられてから、心を改めて書いた告白の手記を集めた」書物の読後感を、彼は次のように書いている。(p.65-66)

はたしてこれが、心を改めた人の、いつわらない真情であろうかと迷った。これらの手記はいずれも口をそろえて、同じようなドギツイ単語、きまりきった形容詞で、自分たちの配属された日本軍の残虐性をののしっている。ののしること自体が悪いとはいわない。ただし、早いところ、できるだけ極端な言葉を使って、軍や自分のかつての醜い行為をののしることを競いあうことによって、現在の自分の反省ぶり、改心ぶりを認めてもらおうとする、あせり、性急さが多くの手記にあった。しみじみと罪を認めたというよりは、罪を認めたと他人に認めさせたい、欲望のほうが先にちらついていた。一日も早く釈放されたいため、何がなんでもハッキリした改心の証拠を見せようとして、知っているだけの(個性のない、肌のぬくみのない)残虐用語を、かき集め、吐きだそうとした。その心情に同情しないわけではない。しかしこれらの文章には、どこか、まるで自分とは関係のないひとごとをぶちまけるような、よそよそしさがつきまとっているように思われた。出征兵士をおくりだすさいの在郷軍人幹部の、あの聞くまえから内容のわかってしまうきまり文句を、ただ裏返しにしたにすぎない文章もあった。罪の事実を、よくよくたどって、めいめいに、心しずかに、違った口調で物語るほうが人の心を打つ。「これなら大丈夫」という色彩をぬりたくり、音調にあわせて、いっせいに喋りだすのでは、なんとなくさびしい気持がする。

もっとも額賀大臣の場合、現時点では何か具体的な罪に問われているわけではなく疑惑の対象となっているにすぎないわけだが、それだけになおさら「昼夜を徹して」という「極端な言葉」が「ひとごとをぶちまけるような」「よそよそしさ」を醸し出しているのだと思う。何かこう、罪に問われる前からすでに釈明の言葉が口をついて出てきてしまったのではないか、そんな感じがする。

2007年11月23日

休館

今日も寒い。昼休みは図書館だ。と思ったら休館日だった。うーむ。

今週はコーネル・ウールリッチ「診察室の罠」と遠藤周作「学生」「シラノ・ド・ベルジュラック」を読む。「診察室の罠」は白亜書房の『コーネル・ウールリッチ傑作短篇集(1) 砂糖とダイヤモンド』冒頭の作品。遠藤周作は新潮社の全集の『短篇小説I』に収録のもの。

2007年11月19日

そうだ図書館だ

出張中の荷物はバッグにギリギリまで詰めこんでるので帰りに本が増えるのは悩ましいなとブツクサ書いたが、よく考えたら出張先のビルのすぐ近くに図書館があって先週木曜もそこで昼休みに小川国夫全集で久々に「リラの頃、カサブランカへ」を読んだのだった。

これからは日中でも冷えこんでくるだろうし、よっぽど好天じゃなければ図書館に通うというのもストイックでいいな。

2007年11月17日

帰りの本

古本屋とかでではなく買った新潮文庫のページからは、あの懐かしい匂いがする。

月曜に持って出た文庫本はちょうど木曜の夜あたりには読み終わってしまい、荷物は増えるが帰途につく金曜には何かしら買い足すことになる。

先週は丸山健二『生きるなんて』朝日文庫。辛口というより「戦争なんて」の章などはえらくストレートだなと思った。

そして今週が安部公房『砂の女』新潮文庫、税込500円。新潮は角川や講談社なんかとちがって古い作品でも普通の本屋でけっこう簡単に手に入るのがいいな。

これは人それぞれだろうけど、新潮文庫の匂いは俺の場合は星新一を思い出させる。