引越し作業の隙を突いてD.W.バッファ『聖林殺人事件』(文春文庫)購入。今までと同じ主人公のシリーズだが邦題が二字熟語ではなくなった。当分の間は読んでる時間がなさそう。
2006年5月25日
2006年5月6日
買ったもの
Amazonマーケットプレイスで注文しておいたA・B・コックス『プリーストリー氏の問題』(晶文社)が到着。新品同様なのに安くて速くて感謝。(それにしても晶文社ワンダーランドの「推奨ブラウザver4.0以上」という文言はひどいな)
いつのまにか石持浅海『月の扉』が文庫化されてたので買う。
岩波新書が新赤版1000点突破ということで表紙のデザインがちょこっとリニューアルされてた。
新刊じゃないけど目をひいたのは『震災にあった盲導犬クララ』。
2006年5月5日
アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』
アントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』(国書刊行会)を読了。
これはたまげた。もともとロジャー・シェリンガムというシリーズ・キャラクタにはあまり名探偵というイメージはもっていない。とはいえ作者バークリーがここまでやるとは思わなかった。
この作品でのシェリンガムの活動といえばもっぱら、殺人犯人と思われる人物をかばうため関係者に偽証をすすめてまわることだけ。しかも、これは当人は知らず読者にのみわかるようになっているのだが、そもそもその犯人の想定がまちがっている。
中盤以降はほとんどユーモア小説の観すらあり、シェリンガムの迷走ぶりもさることながら、事件当夜酔っぱらっていたのをいいことに見ていないことまで見たと証言するよう暗示をかけられてしまうウィリアムスン氏のくだりなどはなんとも可笑しい。
が、被害者がいかに周囲から「殺されたとしても当然」と思われているかをしつこいくらいに描いた序盤のほうに、むしろ読みどころがあるとも思う。バークリーという人の探偵小説作家としての独自性を痛感させられる。
2006年5月1日
買ったもの
散歩途中のブックオフにて以下購入。
- 中町信『天啓の殺意』(創元推理文庫)
- 吉本隆明『カール・マルクス』(光文社文庫)
レジで福引をやったら白い玉が出て50円分のサービス券かスナック菓子のどちらかを選べといわれたのでチーズビットをもらって帰る。
2006年4月29日
佐藤春夫『田園の憂鬱』
佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮文庫)を読了。
悩んでいるさまや癒えていくさまが大仰で、ところどころ作為的なものが感じられるのだが、そういう箇所のすぐあとにはたいてい、作者自身もその自己劇化については認識しているらしいことを窺わせるような記述が出てくる。その醒めっぷりがなんだかいい。
2006年4月27日
2006年4月26日
2006年4月22日
買ったもの
ネロ・ウルフのシリーズではないと気づいて一瞬だけ躊躇したものの、笹塚の紀伊国屋書店にて以下購入。
- レックス・スタウト『手袋の中の手』(ハヤカワ・ミステリ)
ちなみにこの店は新宿本店などとは異なりポケミス専用の棚はなく文芸翻訳本のコーナーに最近のものだけ並べられている。
シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』
帰りの車中でシモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(岩波文庫)を読了。
資本主義社会の衰退を意識しつつ、資本主義を倒せる・乗り越えられると称する思想のもつ欠陥をも見据えた、非常に真摯な論考だと思う。
ただし、それゆえ袋小路にも至りやすく、そうした箇所で当面の課題としてしばしば言及される何々目録というイメージが機械じかけの神のようで納得しにくい。
2006年4月19日
2006年4月18日
岩波書店ホームページのfavicon.icoに「おおっ」と思う
出張先の宿で読むにはちと硬いがシモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(岩波文庫)が今ちょうど半分あたり。訳がわかりやすくてよい。たとえば以下p.84より。
恣意的な行為は判断にもとづかない。よって厳密な意味で、自由な行為とは呼べない。
2006年4月16日
買ったもの
洗剤が切れたので買いにいく。ついでに古本屋(BOOK OFFに非ず)に立ち寄り以下購入。
- 伊藤整『変容』(岩波文庫)
- 佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮文庫)
変容は持ってたかもしれないけど読んだという記憶はないからいいや。
2006年4月12日
辻真先『アリスの国の殺人』
第35回日本推理作家協会賞長篇賞受賞作、辻真先『アリスの国の殺人』(双葉文庫)を読了。アニヲタとか二次元コンプレックスといったものを80年代初期という時点ですでに、それも単なる奇異な風俗としてではなく内面の奥深いところから捉えてみせた先見の明に驚かされる。最後はまるでサイコホラーで身の毛もよだつもう最高。そんな味噌カツ風味のコテコテの駄洒落の連発も許せてしまう。
ある登場人物の述懐に「誰も私を見向きもしない。向こうがその気ならこっちも徹底的に透明になってチェシャ猫のようなにたにた笑いだけを残してやる」という意味の言葉が出てくる。本作のテーマを香山二三郎氏は巻末解説で「夢の世界への熱い思いとその裏腹にある逃避願望の相克」と要約しているが、この「逃避願望」が求めるものは、現実からの逃避のようでもあり、それでいて現実との訣別あるいは現実への復讐のための「匿名性」であるようにも思える。
奇しくもつい先日のあなんじゅぱす公演『夏の夜の音』のアフタートークでゲストの奥泉光氏の発言に「青年団の芝居にはたいていニヤニヤ笑ってる登場人物が出てくる。ニヤニヤ笑ってるやつは他人との関係を常に気にかけていて、関係を結びたいんだけど失敗を恐れて内心ビクビクしている。(そこが漱石の小説に似ている)」という意味のものがあった。笑いと他者、あるいは笑いと現実。この関係が奥泉説と辻作品ではちょうど逆になっているように見えるのが面白い。
ところで最後に「かすがいきよこ」とは誰なのだという謎が残るのだが、ひらがなだとGoogleでは何もひっかからないのだった。
2006年4月10日
ロバート・L・フィッシュ『シュロック・ホームズの回想』
ロバート・L・フィッシュ『シュロック・ホームズの回想』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読了。オチがよくわからないものがいくつかあったりもするが、それを度外視しても『冒険』に比べてかなりインパクトが弱い。
ちまちました暗号解読ものが少なからぬ比重を占めているせいもあるのだろうか。シュロックによる誤読がそのままオチだと物足りない。誤解や誤読にもとづきあらぬ方へ突っ走っていってこそ爆笑を誘うのだと思うのだが。
あと『冒険』では複数人による訳だったが、この『回想』ではすべて深町さん訳になっている。訳者が専任になると如何せんルーチンワークになりがちである。木村二郎氏によるE・D・ホックの怪盗ニックものやサム・ホーソーンものとか。深町さんによる『回想』の巻末解説でも一抹の倦怠感らしきものが窺える。
ただし「ホイッスラーの母蒸発事件」は無茶苦茶おもしろい。この一篇だけでも読む価値あり。
2006年4月5日
フレッド・ヴァルガス『青チョークの男』
新幹線の中ではほとんど寝てしまったが、その後の車中でフレッド・ヴァルガス『青チョークの男』(創元推理文庫)を読了。
パリを跳梁跋扈して青チョークの円を残していく謎の男、それと並行するかのように発生する無差別連続殺人。というあらすじは山田正紀あたりの作品を思わせるものがあって期待させられたのだが、うーん、ミステリとしては『死者を起こせ』のほうがまだ面白かったかな。
登場人物たちはみな個性的……というのを通り越して、かなりエキセントリックでちょっとついていけない。男手ひとつで5人の子どもを育てるダングラール刑事が唯一許せるキャラクタかも。