2008年11月10日

女衒ども心せよ

すんごい久しぶりに更新。この間ほとんど本読んでません:D

日曜日、古本屋で文庫本を何冊か買う。心境の変化もあってか本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社文庫)のような今までだったらゼッタイ買ってなかったろうなと思うようなものも買ってしまう。

巻末解説で高橋源一郎は「1980年代にも幾人かの劇作家が小説に手を染めたがそれは戯曲の言葉遊びを小説に持ち込んだだけだった」というような意味のことを書いて本谷らの世代と対比しているのだが。

そりゃたしかに唐十郎や野田秀樹の小説は言葉遊びがメインだったかもしれないけど、つかこうへいは違うだろと思う。

2008年9月21日

星座

SDP Bunkoというので有島武郎『星座』が出るらしい。

うわ、なんだこりゃ、と思った。こんな表紙にしないと売れないのか。

といいつつチェックしてみると宮沢賢治『注文の多い料理店』の表紙がむちゃくちゃいい。なんだか吉永小百合みたいだ。

それはいいとして『星座』だけど「おぬい」というのは記憶に残ってないな。漱石『虞美人草』のお糸さんは今でもくっきりとイメージに残ってるんだけど。(ただしTBSだったかでドラマ化されたときの配役は知らない)

2008年9月17日

エジプト十字架の謎の謎

東京創元社のメールマガジンによると、11月以降の刊行予定の中にエラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』の「新版」というのがあるらしい。

ただし井上勇訳。とすると新訳というわけではないらしい。

単にカバーが新しくなっただけのだろうか。まさか絶版状態だったわけでもないだろうから復刊とも呼べず新版扱い。でもそうなると他の国名シリーズとのバランスはどうなるんだ。

一番ありそうなのは「活字が大きくなりました」といったあたりだろうか。といいつつ、本命としては「扉ページの紹介文を改訂しました」をもってきたい。あのあまりにもあからさまに伏線を指摘してしまってる文章はかなり読者の興をそぐからねぇ。

2008年9月5日

長い長い眠り

結城昌治『長い長い眠り』(創元推理文庫)読了。

まいった。最後まで犯人がわからない。わからないけど当てることはできる。「たぶんこいつだろう」と思って読み返すと、たしかにそれらしい暗示がいくつかある。が、あくまでも理詰めで真犯人に到達しようとするなら、その手がかりは容易には見出すことができず、かなりの苦戦を強いられる。

殺害方法のトリックが素晴らしく、みごとに伏線が張ってあったのには感動した。

このひとのミステリは一見して叙述トリックを思わせるような箇所がトリックでもなんでもなく、ほんとになにげなく読み飛ばしてしまうところにズバリ正攻法で伏線が張ってあるので一筋縄ではいかない。

2008年8月25日

オーウェル日記

The New York Timesの記事「What George Orwell Wrote, 70 Years Later to the Day」によると、ジョージ・オーウェルの70年前の日記がblog形式で公開されているそうな。

URLは http://orwelldiaries.wordpress.com/。1938年8月9日から始まり、1942年10月まで続く予定らしい。

2008年8月17日

うん*

マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』だけど、「うんち」と訳すか「うんこ」と訳すか、その選択の決め手は何だったんだろうというのは、できれば知っておきたかったかもしれない。

2008年8月15日

忍法人名連鎖

『別冊文藝 山田風太郎』の中に唐沢なをき「唐沢直樹(14)、山田風太郎をヨム」という漫画が載っている。

唐沢少年には小説の登場人物に俳優やアニメキャラの顔をあてはめながら読むという癖があったそうで、その一例として『甲賀忍法帖』の

陽炎はなぜかルパン三世の峰不二子なのだ.(声はもちろん二階堂由紀子)

というキャスティングが挙げられている。(由紀子じゃなくて有希子だけど)

ここで「なぜか」の語は本来不要だ。「陽炎=峰不二子」という取合せは決して思いも寄らないものではなく、むしろ誰もが「さもありなん」と思うだろうからだ。

しかし「声はもちろん二階堂」というこだわりには「お、そうなのか」と注目せざるをえない。

なぜなら私は、実は不二子役の声優が、二階堂さんだったのは第1シリーズだけであり第2シリーズからは増山江威子さんに代わっていたということを大人になるまで知らなくて、ストーリーやキャラクター造形はいざ知らず、こと不二子の声に関しては子供時分は全く違和感なしに第1シリーズも第2シリーズも観ていたからなのである。

それには増山さんの声がキューティーハニーやらバカボンのママやらで慣れ親しんだものであったせいもあるだろうし、今なら確実に聞き分けられるにちがいない第1シリーズの不二子の声の翳りを帯びたアダルトさに対して当時はきわめて鈍感だったせいもあるだろう。

その違いを、唐沢直樹(14)は、リアルタイムで識別していたらしいのである。

さて、ウィキペディアによれば二階堂さんは今ではあの「クイズハンター」の柳生博夫人となられているそうだ。はて、柳生?

なんと、その柳生博についての記述の中には「剣豪として有名な柳生一族の末裔である」との一文があるではないか。風太郎忍法帖で言えば『柳生忍法帖』その他諸々の、あの柳生である。

甲賀の陽炎→(峰不二子)→(二階堂有希子)→(柳生博)→柳生一族、という摩訶不思議な連鎖。唐沢なをき、げに恐るべし。

8/15

図書館から借りてきた『別冊文藝 山田風太郎』(河出書房新社)を拾い読み中。

敗戦の日だからというわけではないが、谷口基というひとの文章「滅失の神話」が、短いながらも山田風太郎という作家の一面を見事に捉えていて感銘深い。

2008年8月14日

物しか書けなかった物書き

ロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』(河出書房新社)を図書館から借りできて読了。

EQMM等で活躍した短篇専門作家とのことだが、見事にバラバラな作風でどう受け止めたらいいのかよくわからない。

わりと目につきやすいのは「誰かに操られている」というテーマがさまざまに形を変えて頻出することだろうか。それをサイコホラーやSFに越境せず犯罪小説というジャンルに踏みとどまりながらやってみせるあたりがスリリングではある。

編者の法月綸太郎による解説は整理がいきとどいていて参考になる。この人はやっぱり評論家のほうが向いてるのかなぁ。

2008年8月12日

論理は右手に

フレッド・ヴァルガス『論理は右手に』(創元推理文庫)読了。

だめだ、つまんない。『死者を起こせ』でもそうだったけど、三十すぎた歴史学者が少年のような口のきき方をするのにまず馴染めない。主役の面々がうじうじしすぎ。逆に脇役や端役は全然描ききれてない。

訳者あとがきによれば原題は邦題とはやや違うそうで、原題に込められた意味は丁寧に解説されているものの、ではなぜその原題を捨ててまで別の邦題をつけたのかは不明。

作品の出来についてはあまり触れられておらず、今後はE・D・ホックのようなシリーズ物にありがちなマンネリ気味の訳出が続くのではないかという予感がしてしまう。

2008年8月11日

夜中に犬に起こった奇妙な事件

マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(早川書房)読了。

主人公クリストファー少年の一人称。途中、コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』のネタバレあり。古典だからといってネタバレが許されると思ってるのか!!

でも子供の頃に読んだきりなので実はネタバレがどうかさだかではない。クリストファー少年が真犯人を間違えて憶えてるのかもしれない。ましてそのネタバレが養護学校に通う自閉症の少年によるものであれば、一概に怒るわけにもいかないような気もしてくる。

冒頭に起こった犬の事件が後半になってどうでもいいような扱いになってくるのがやや残念。結局この犬の事件というのは、そうは書かれていないけれども世に言う「自分探し」というやつの、単なる足がかりの役割しか与えられていなかったのだろうかと思うと一抹の寂しさが残る。

面白かったのはクリストファー少年が再三にわたって「これは隠喩ではなく直喩だ」とこだわるところ。「モンティ・ホール問題」というのはこの小説を読んで初めて知る。少年のよくみる夢というのが、いまだに忘れがたい星新一の「殉教」という短篇のラストシーンに一脈通じるものがあって興味深かった。

2008年8月5日

箱男

安部公房『箱男』(新潮文庫)読了。

正直言ってあんまり面白くない。解説で平岡篤頼氏は

小説『箱男』の構造がいかに画期的な新しさを秘めているかを解明するには、(中略)かなり抽象的かつ専門的な議論を展開しなければならないから、ここではひと先ず差控えるが、

と書いているが、そんなことしなきゃ楽しめないようじゃ名作とは言えないんじゃないか。

でも103頁の「そう、ラジオ。じつは以前、」から始まり106頁の終わりまで駆け上がってゆく一節、ここばっかりは感動して涙が出そうになった。この部分だけスパークして見える。

2008年7月26日

ひげのある男たち

結城昌治『ひげのある男たち』(創元推理文庫)読了。

昭和30年代、市電と地下鉄が並存する東京。殺人事件が起こり警察が捜査にあたるが、とぼけた味わいの登場人物が多くのんびりとした雰囲気である。

なまじ文章が闊達でスラスラ読めるだけに、少しでも不自然な箇所はパッと目につき、犯人はわりと簡単にわかってしまう。だからといって単純な風俗小説というわけではなく、ことに犯人を絞り込んでいく過程はきわめて論理的であり、本格探偵小説の醍醐味を満喫させてくれる。

惜しまれるのは犯人の名が明かされたあとに謎解きがおこなわれるという構成になっている点であり、これはできれば消去法の果てに初めて犯人の名が指し示されるという形であってほしかった。もっとも、すべての本格ミステリがクイーンの『フランス白粉の謎』のようであるというわけにもいかないだろうが。

証拠品隠滅のトリックには気がつかなかった。これはなかなかいける。

2008年7月21日

句読点

今ふと気がついた。というか今まで気がつかなかったのだが。

創元推理文庫の表紙をめくると最初のページに横書きで、その本の「あらすじ」とか紹介文が載っている。裏表紙にある文章とほとんど同じなんだけど細かい言い回しは微妙にちがう、ものによっては全然ちがってたりするやつ。

あれがどうも、今のところ2冊ばかりでしか確認していないのでさだかではないのだけれど、読点に「,」つまりカンマを使っているようなのだ。

たしかに理数系の書籍などでは「,」が主流だと思われるが、創元推理文庫のような主に小説を扱うシリーズでは珍しいのではないだろうか。

さらに珍妙なのは、読点に「,」を使うなら句点には「.」つまりピリオドを使うのが普通だろうに、創元の説明文の場合、句点のほうには「。」つまり「まる」が使われているのだ。

ホント変な出版社だな(笑)

風水火那子の冒険

山田正紀『風水火那子の冒険』(光文社文庫)読了。(表紙はノベルス版のほうがイメージに近いような気がするんだけど文庫で)

前半2作「サマータイム」「麺とスープと殺人と」には魅力を感じない。特に後者はギャグ漫画じみたノリが情けないし、それこそラーメンじゃないけどグダグダしてて胃にもたれる。

中篇だから緻密な推理の過程がないのは致し方ないにしても、タイトルに反して風水火那子が「冒険」してるようには全然みえず不満が募る。

が、後半2作でこの評価は一挙に覆る。

「ハブ」では1つの作品の中で全く別の2つの事件が提示され、まるで女囮捜査官シリーズのエッセンスがギュッと濃縮されたかのような読みごたえ。サスペンスとユーモアが見事にブレンドされた状況設定、小説としての構成の心憎いばかりの巧みさ、いずれをとっても文句なし。

最後の「極東メリー」は日本海への領海侵犯という時事ネタに古典的な幽霊船テーマを絡め、一種のファンタジーとしての仕上がりを見せている。ストーリー中に配置されたサブストーリーの組み込み具合もすっきりしていて印象がよい。

千街晶之氏による巻末解説では、以上4作に共通する点として

事件の謎そのものには関係がない筈の捜査関係者(またはそれに準ずる立場の人物)の日常や心情や生い立ちなどが、多かれ少なかれ描き込まれていること

が挙げられている。一瞬「それは『阿弥陀』からすでにそうだったのでは?」、また描かれる心情というのがときとしてショボいもの(特に「麺とスープと」の警部補!)だったりしたので「敢えて指摘するようなことなのか?」と思ったりしたのだが、そこから火那子シリーズの「隠しテーマ」へと掘り下げていく筆致はさすがであり、これくらいの解説がもっと増えてくれればいいのにとつくづく思った。

2008年7月20日

山口雅也アンソロジー・補遺

E・D・ホックは木村二郎のマンネリ気味の訳が退屈で『サム・ホーソーンの事件簿V』も実はいまだに買ってなかったりする。

このアンソロジーに収録された「謎のカード事件」も、木村訳でこそないものの、主人公ランドのもとへ知人の遺児、それもしばらく会わないうちにすっかり美人に成長した娘が訪れ、

「あなたは暗号解読にかけては専門家だって、母が言ってたわ。頼りになるのはあなただけだって母があたしに電話でおしえてくれたのよ。それに、あたしはなにか困ったことがあるといつも年輩の方に相談をもちかけることにしてるの」
 にわかにランドは自分が古代の遺物にでもなったように感じた。

などと書かれているシーンを読むと、なんだってアメリカの作家のギャグはこんなに自意識過剰で湿っぽいんだ、とウンザリしたりした。

また、クリーヴランド・モフェット「謎のカード」への解答としては「まぁ結局そういうことだったワケね」という感じで意外性もなんにもない。

が、独立した作品として見てみると、さすが短篇の名手と言われるだけのことはあり、特に伏線のちりばめ具合には目をみはらされる。宮原龍雄「新納の棺」についての編者の評にもあるが、やはりさりげなさというのは重要だなと痛感した。

山口雅也アンソロジー・その他

冒頭の「道化の町」を除いて収録順に。

坂口安吾「ああ無情」
かなり退屈w
星新一「足あとのなぞ」
星新一で一人称とは意外な気がした。
P・D・ジェイムズ「大叔母さんの蠅取り紙」
70年も前の、しかも無罪判決の出た事件を推理する。タイムリミットが課せられてるとか、もうちょっとのっぴきならなさが欲しかった。
アーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」
クイーンのパロディ。真相も馬鹿々々しくて笑えるが、翻訳に一部テキトーな箇所あり。
高信太郎「Zの悲劇」「僧正殺人事件」「グリーン殺人事件」
漫画。「Zの悲劇」のオチは素晴らしい。
山上たつひこ「〆切りだからミステリーでも勉強しよう」
漫画。つまんない。
フランク・R・ストックトン「女か虎か」
有名だけど初読。無駄がなくて文句なしの逸品。
フランク・R・ストックトン「三日月刀の促進士」
「女か虎か」に比べると冗長なのは否めないが、映像で見るならこっちのほうが絢爛でいいかもw
クリーヴランド・モフェット「謎のカード」
読者に投げかけられる謎の切れ味が物足りない。ストックトンとは謎の質がちがうと思う。
エドワード・D・ホック「謎のカード事件」
上記モフェット作品に合理的な解答を与えるべく書かれたもの。ちょっと長くなるので別エントリで。
ハル・エルスン「最後の答」
これも謎の投げかけ方があんまり好きになれない。
乾敦「ファレサイ島の奇跡」
島田荘司ですな。
宮原龍雄「新納の棺」
ちまちました時刻表ものかと油断して打ちのめされる。後説で編者は「一見派手なトリックAに目がいくが、実はトリックBが素晴らしい」という意味のことを書いているが、そうなのかな、ミステリ好きなら誰もがトリックBに感心するんじゃないだろうか。というかトリックAはトリックとも思えない。ともあれこんな作品を採録してくれた編者には感謝。
スティーヴン・バー「最後で最高の密室」
構成が中途半端。
土屋隆夫「密室学入門 最後の密室」
まさかのオチ。素晴らしい。
アイザック・アシモフ「真鍮色の密室」
密室からの脱出方法を探りあてる話。タイムリミットあり。でもそれはさほど重要視されてないのでスリルは乏しい。
J・G・バラード「マイナス 1」
精神病院を一種の密室に見立てた作品。訳がなんとなく読みづらく感じた。

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー

山口雅也編『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』(角川文庫)読了。

ジェイムズ・パウエル「道化の町」目当てで買ったもの。ハヤカワ文庫のアンソロジーで「神の目」という短篇(目ではなく眼だったかも)を読んで以来の忘れじの作家。

道化師しか住んでいない町。警官もウェイトレスもピザの宅配員もみんなピエロ。単独で聞きこみに歩きまわる警察官を視点人物にしたハードボイルドっぽい作風は「神の目」とはだいぶ印象が異なり、はたして同じ作家なのだろうかと不安になったが、どこか遠いところを垣間見させてくれる読後感はまぎれもなくあのパウエル。

とても不思議な、底知れない作家だ。あとから気がついたのだがこの作品を表題作にした個人短篇集が同時期に出ている。必読。

巻末の出典一覧に「世界最強の仕立屋」という題名が含まれているが、目次にも本文にもなく誰の作品なのかわからない。順番としては「道化の町」の次に収録される予定だったようなので、もしかしたらパウエルの作品なのかもしれない。

2008年7月17日

十三妹

武田泰淳『十三妹』(中公文庫)読了。

のらりくらりとした戯作者ふうの筆運び。意識してのことなのかどうか、同じ忍者ものでも山田風太郎の忍法帖とはかなり印象が異なる。もっともその底に流れているものは両者で大きく隔たってはいないようにも思う。

ただし表紙や挿絵が現代マンガ風で、ヒロイン十三妹の容姿が幼すぎるのはやや興醒め。どうせなら新聞連載時の挿絵というのを入れてくれたほうがよかった。連載が朝日新聞で文庫化が読売系列の中公という組合せでは無理な相談なのだろうか。

片や、終始一貫してニヒルな剣豪といった雰囲気を漂わせている白玉堂だが、面と向かってこそないもののモノローグの中では一度ならず「十三妹ちゃん」呼ばわりしているあたり、ルパン三世のアニメで「峰不二子ちゃんはそれがしのガールフレンド」などとのたまう登場直後の石川五ェ門を思わせるものがあったりしてなかなか楽しい。

2008年6月27日

セリヌンティウスの舟

セリヌンティウスが誰なのか、というかそれが人名であることすら知らずに読み始め、浮ついたところのない書きっぷりにしばしば感心させられながら先ほど読了。

これはまぎれもなく名作。何よりまずストイックである。

共通の趣味を通じて知り合った男女数名の会話が中心のストーリー。となるとえてしてマニアックな方向に筆が流れていきがちなものだが、スキューバダイビングについての言及は簡にして要をえていて申し分ない。

そして『月の扉』や『水の迷宮』ではどうしても馴染めなかった青くささというか学生っぽさも、この作品ではむしろ欠かすことのできない持ち味であるようにさえ思える。

終盤やや「走れメロス」に事寄せすぎだし、いささか思弁的ではあるものの、一幕ものの対話劇になったものを観てみたい気もする。マンションの一室からの場面転換が一見すると地味だがよくできており、特に p.186 のあたりには感動させられた。

これだけ純度の高い作品というのは、一人の作者が一生のうちにそう何本も書けるものではないと思う。とりあえず『扉は閉ざされたまま』にはしばらく手を出さないでおく予定。(解説がヤだし)

2008年6月21日

『山田風太郎 育児日記』読了

実におもしろかった。文庫化されたら買って手許にもっておきたい。

巻末に長女佳織さんによる後記があり、本書の成り立ちについて「ああでもない、こうでもない」と推測しつつ読み進んできた者の目からすると、ちょっとしたドンデン返しになっていて爽快である。

やられた。

山風育児メモ3

昭和34年12月13日(日)には

一家ではじめて多摩動物園にゆく(日記本文参照)。

とある。自由業なのだからわざわざ混んでそうな日曜に行かなくてもよさそうなもんだがなと思う。実際そのしばらく前には娘さんから「お父さんはどうして会社に行かないの?」などと訊かれている。

と思ったが、よく考えたらその娘さんはすでに幼稚園児。だからこそ他の子たちとの比較から「お父さんはどうして」という疑問が生じたのだろうし、山田一家として動物園に行けるのは日曜しかないのだった。

註によれば「日記本文」というのはこの育児日記とは別につけられていた、おそらくメインとなる日記のこと。てっきり一連の日記帳から子供に関わる部分を抜き出して編纂されたのがこの『育児日記』かと思っていたのだが、もとから別々に書かれていたらしい。

山田風太郎はすでにこの時期からHTMLのハイパーリンクにあたるものを実践していたのだった。

山風育児メモその2

これがあの『魔群の通過』『忍法忠臣蔵』の作者と同一人物なのかと疑ってみたくなるほど、淡々と記される断章の中にも娘や息子それに妻への優しい眼差しが感じられる。

が、昭和34年5月22日(金)付の

 啓子が知樹のすることなすことに笑うその笑い声は、特別製の声である。まさにトロケルような笑い声である。
 別に病的にわが子だけを可愛がるというタチでもないのにあんな声を出す。もって世の母親を知るべきである。

という一節などは、母親一般というものの不気味さが的確に捉えられていて、かの作家の冷徹さを垣間見せている。

山風育児日記メモ

図書館から借りてきて読む暇がなかった『山田風太郎 育児日記』に目を通す。

長女の名前は当初「悠子」にするつもりだったが区役所で当用漢字にないと言われて再考を促されたとある。

昭和29年の時点で「悠」は当用漢字表になかったらしい。平成の御世からしてみれば不敬きわまりない話ではあるまいか?

月蝕領映画館

中井英夫全集12『月蝕領映画館』読了。

角川映画はほとんどお気に召さなかったようだが、つかこうへいの『小説熱海殺人事件』や『銀ちゃんのこと』およびその映画化作品『蒲田行進曲』については素直に面白がっていて、ちょっと意外なような気もしたが嬉しかった。

松山巌による巻末解説は大部分が『虚無への供物』の解説に割かれていて、それはちょっとずるいだろと思ったりする。でもみんな書きたいんだろうな。付録の田中幸一の文章がたいへんよい。

2008年6月17日

購入メモ

昼休み、両替がてら石持浅海『セリヌンティウスの舟』(光文社文庫)を、昨秋読んだ『水の迷宮』が『月の扉』ほどには印象悪くなかったので、とりあえず購入。

2008年6月13日

仮面

山田正紀『仮面』(幻冬社文庫)を昨日読了。これは苦しい。

前作『阿弥陀』(同)ではエラリー・クイーンばりに論理的だった風水火那子が、この作品では単なる種あかしの人でしかない。作者によって用意されたトリックとその真相を「それ以外に解釈の余地はありえない」「必然的にこれしか残らない」という検証もなしに漫然と解説するだけの存在。

帯に「どんでん返し」とあるけど全然どんでん返ってないし。

『螺旋』の風水林太郎による「~だろうぜ」の連発もそうだったが今回の「タケシタ」による「~なのよな」の繰り返しもうざったい。

ほぼ冒頭に探偵役による謎解き場面をもってきた実験的な造りに期待させられたぶん後半はがっくり。不本意ながら酷評となってしまった。

2008年6月9日

『わが推理小説零年』読了

自分や自分の作品について書きたいと思うことがない、ニヒリストかさもなければ分裂症だ、というあたりが圧巻だと思う。

奥付のペンネームへの言及がなんだか変。

2008年6月8日

ヒトとモグラと

図書館で山田風太郎『わが推理小説零年』を借りてきて読む。その中に「処女膜は人間の女性とモグラの雌にしかない」みたいなことが書いてあり、そんなに特殊なものなのかと意外に思ってウィキペディアで確認したらモグラ以外にもいろんな動物にあるらしいとわかる。

哺乳類はいうにおよばず、鳥類、爬虫類、そしてなんと貝類にも。

昭和24年の時点で判明していたのがモグラだけだったのか、山田先生が(試験直前には原稿の依頼を断るなど決して名ばかりの医学生ではなかったらしいので)たまたまそこのところだけ勉強をサボったのか、あるいは話を面白くしようとして思いっきり単純化して書いたのかもしれない。

2008年6月1日

ブランドのここが面白い

クリスチアナ・ブランド『疑惑の霧』読み中。

ある人物Aが殺人容疑で留置所に入れられてしまう。そして物語は取り残された人々を中心に進んでいくのだが、しばらくするとAにはなじみの囚人仲間でもできたらしく、p.258に

例のガラス壜の破片の紳士が坐りこんで、さかんに身の上話をしてきかせている。

という描写が出てくる。

「例の」? はて、そんな紳士出てきたっけか? と、すっかり記憶力に自信を失いつつ、ページを遡って探していく。

するとp.234に、Aの身を案じる人物Bの述懐として

ついこの間の新聞にも、それまで一面識もなかったような少女を犯した上、絞め殺した男のことや、また別に、居酒屋の喧嘩で、女をガラスの破片で殴って傷つけた男のことが出ていたが、

とあるのが見つかる。

Aがそんな犯罪者たちと一緒くたに勾留されているのではないか、とBは心配しているわけだ。

が、この段階では「女をガラスの破片で殴って傷つけた男」はあくまで「そんな犯罪者たち」の一例、ないしは「留置所に入ったらおそらく出くわすであろうような種類の人間」をイメージさせるものとして挙げられているようにしか読めない。

いくら似たような時期に逮捕されたとはいえ、どこで起きた事件だがわかったものじゃないし、それがAと同じ留置所に入れられようとは、ふつう一般には考えられない。仮にBが「ガラスの破片」云々を眼前にまざまざと思い浮かべていたところで、それはむしろ杞憂というか妄想と呼んでいいだろう。

というわけで、p.234の新聞紙上のガラスの破片の男は、われわれ読者の記憶からすぐさま消え去ってしまうのである。

が。

それがp.258の「一方そのころAは」のくだりになって突然、あたかも既知の人物であるかのごとく「例のガラス壜の破片の紳士が」などと具体化されてしまうのである。

このユーモアのセンスがたまらない。こういうのは映画とかなら比較的やりやすそうだが、活字でやるにはかなりの技巧を要するのではなかろうか。

ただ、この手の面白さは初めてではないような気もする。中井英夫の『虚無への供物』の、たとえば鴻巣玄次。あれがこんな感じじゃなかったかな。

2008年2月17日

Sandra Boynton さん

ちょっと萌えたり :D

2008年2月4日

ここがヘンだよ東京創元社

東京創元社のメールマガジンの、昨年暮れあたりからの見出し一覧。賢明な読者の皆さんなら「アレ、なんか不自然じゃない?」と思われるところが1ヵ所あるはずです。

ほんとおかしい。

2008年1月6日

わが懐旧的探偵作家論

山村正夫『わが懐旧的探偵作家論』(日本推理作家協会賞受賞作全集32, 双葉文庫)読了。1975年『幻影城』創刊にあたり島崎博編集長の要請で連載されたもの。著者はあの『湯殿山麓呪い村』の作者、なのだが実は題名しか知らない。

採り上げられてる作家は以下の20名。○は読んだことのない作家、◎は本書で初めて名前を知った作家。(大坪砂男は新青年傑作選みたいなやつで1作くらいはあったかも)

  • 朝山蜻一 (◎)
  • 鮎川哲也
  • 江戸川乱歩
  • 大河内常平 (◎)
  • 岡田鯱彦
  • 大坪砂男 (○)
  • 香住春吾 (◎)
  • 香山滋
  • 狩久
  • 木々高太郎
  • 楠田匡介 (○)
  • 島田一男
  • 城昌幸
  • 高木彬光
  • 千代有三 (◎)
  • 角田喜久雄
  • 日影丈吉
  • 氷川瓏 (○)
  • 山田風太郎
  • 横溝正史

氷川瓏は乱歩の『十字路』の協作者・渡辺剣次の実兄だそうな。

陸橋殺人事件

実家にて『陸橋殺人事件』読了。解説によればノックス自身は途中でカトリックに改宗しているらしい。

「赤い血が流れていない人間には殺人はできない」という理屈は「冷血な殺人鬼」みたいな決まり文句とは正反対で面白い。殺人というのはきわめて人間的な行為もしくは現象だということなのかもしれない。

2008年1月4日

あんぐろ~

昔読んだ(が、すっかり内容は忘れている)ロナルド・A・ノックス『陸橋殺人事件』(創元推理文庫)再読中。

皮肉の応酬が楽しい。英国古典ミステリというのはかの国における「サザエさん」のようなものなのではないかと思う。ロバート・L・フィッシュの殺人同盟の3人を思い出す。

2008年1月3日

2007年収穫

一番は武田泰淳『富士』なんだけど、それに次いで印象深かったのがD・W・バッファ『遺産』(文春文庫)。弁護士ジョーゼフ・アントネッリが主人公のシリーズ第4作。

出てすぐ買ったはいいが長らく積ん読状態で、しかも途中で一度読み出しかけて挫折している。たぶん最初のほうの法律事務所の面々や実業家夫妻なんかの晩餐シーンが当時は退屈に思えたせいかも。が、去年やっと本腰を入れて読んでみたらこれが面白い。

このシリーズは有能な弁護士であるアントネッリが法廷では勝利をおさめるものの、毎回のように何かしら心に深傷を負うような展開が待ちかまえていて思わず「何もそこまでせんでも」とつぶやきたくなるような理不尽さが特徴だったりするのだが。

今回もやってくれるというか。

法廷シーンの大詰めでは「ぐはっ、そう来たか」と最初のけぞり、そしてすぐ「しかしそこまでやるか。この先どうすんだよ……」と鬱に沈みこんでしまった。

巻末解説でも「人生派」などと呼ばれているように、視点人物でもあるアントネッリは法廷以外の場ではさほど饒舌ではなく、どちらかといえば内省的なタイプ。サンフランシスコの町を眺めながら幼いころに祖父から聞かされた逸話を思い出すあたりなど、なんとなく村上春樹の小説(といっても最近のはどんなか知らないけど)のような雰囲気も漂う。

が、この作品では一皮むけたというか、どんでん返しと伏線がビシッと効いていてエンタテインメントとしても申し分ない。日本は大統領制じゃないから設定にちょっと難があるけど、もし田宮二郎とか岡田真澄とか岸田森といった面々が生きてたらドラマか映画になったのも観てみたいもんだがなぁと思った。

2008年1月2日

2008年最初の小説

レックス・スタウト『手袋の中の手』(ハヤカワ・ミステリ)を読みはじめる。

女嫌い(ただし接し方は慇懃無礼)の美食家探偵ネロ・ウルフは登場しないが、こちらの女探偵ドル(シオドリンダ)・ボナーもいきなり「わたし、男は嫌い」(p.25)ときたもんだ。

アーチーのおどけた一人称じゃないので少々とっつきにくくはあるものの、冒頭からいかにも怪しげな人物は出てくるし飽きることはなさそう。

2008年1月1日

2007年最後に読んだ小説

大下宇陀児『金色藻』(春陽文庫)。人殺しすぎ。