2007年11月29日

昼夜を徹して

ホテルの部屋に帰ると普段の反動からかテレビのニュースばかり見ている。額賀財務大臣が報道陣に対し「昼夜を徹して調べたが(贈賄容疑の渦中にある商社役員との会食に同席したという)記録はなかった」と答えていたのを見て違和感をいだいたのは私ばかりではあるまい。

まあ、自分のこととはいえ何年も前の話だ。そんなことは憶えてない。そこで書類をひっかきまわしてみたり人にも問い合わせてみたりした。その結果、同席の記録は残っていないことがわかった。それでもあんたたち疑うのか。そう言いたいのはわかる。

どうだ参ったか。八方手を尽くして調べたんだ、おまえらありがたいと思え。返す刀でそんなニュアンスも漂ってくる。

でもやっぱり「昼夜を徹して」というのは大袈裟というか、どうにも文脈にそぐわない。

そんな折、携行していた武田泰淳『滅亡について』(岩波文庫)に実にしっくりくる一節があった。第二次世界大戦後に出版された「日本の将兵が戦犯として収容所に入れられてから、心を改めて書いた告白の手記を集めた」書物の読後感を、彼は次のように書いている。(p.65-66)

はたしてこれが、心を改めた人の、いつわらない真情であろうかと迷った。これらの手記はいずれも口をそろえて、同じようなドギツイ単語、きまりきった形容詞で、自分たちの配属された日本軍の残虐性をののしっている。ののしること自体が悪いとはいわない。ただし、早いところ、できるだけ極端な言葉を使って、軍や自分のかつての醜い行為をののしることを競いあうことによって、現在の自分の反省ぶり、改心ぶりを認めてもらおうとする、あせり、性急さが多くの手記にあった。しみじみと罪を認めたというよりは、罪を認めたと他人に認めさせたい、欲望のほうが先にちらついていた。一日も早く釈放されたいため、何がなんでもハッキリした改心の証拠を見せようとして、知っているだけの(個性のない、肌のぬくみのない)残虐用語を、かき集め、吐きだそうとした。その心情に同情しないわけではない。しかしこれらの文章には、どこか、まるで自分とは関係のないひとごとをぶちまけるような、よそよそしさがつきまとっているように思われた。出征兵士をおくりだすさいの在郷軍人幹部の、あの聞くまえから内容のわかってしまうきまり文句を、ただ裏返しにしたにすぎない文章もあった。罪の事実を、よくよくたどって、めいめいに、心しずかに、違った口調で物語るほうが人の心を打つ。「これなら大丈夫」という色彩をぬりたくり、音調にあわせて、いっせいに喋りだすのでは、なんとなくさびしい気持がする。

もっとも額賀大臣の場合、現時点では何か具体的な罪に問われているわけではなく疑惑の対象となっているにすぎないわけだが、それだけになおさら「昼夜を徹して」という「極端な言葉」が「ひとごとをぶちまけるような」「よそよそしさ」を醸し出しているのだと思う。何かこう、罪に問われる前からすでに釈明の言葉が口をついて出てきてしまったのではないか、そんな感じがする。