2008年11月10日

女衒ども心せよ

すんごい久しぶりに更新。この間ほとんど本読んでません:D

日曜日、古本屋で文庫本を何冊か買う。心境の変化もあってか本谷有希子『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社文庫)のような今までだったらゼッタイ買ってなかったろうなと思うようなものも買ってしまう。

巻末解説で高橋源一郎は「1980年代にも幾人かの劇作家が小説に手を染めたがそれは戯曲の言葉遊びを小説に持ち込んだだけだった」というような意味のことを書いて本谷らの世代と対比しているのだが。

そりゃたしかに唐十郎や野田秀樹の小説は言葉遊びがメインだったかもしれないけど、つかこうへいは違うだろと思う。

2008年9月21日

星座

SDP Bunkoというので有島武郎『星座』が出るらしい。

うわ、なんだこりゃ、と思った。こんな表紙にしないと売れないのか。

といいつつチェックしてみると宮沢賢治『注文の多い料理店』の表紙がむちゃくちゃいい。なんだか吉永小百合みたいだ。

それはいいとして『星座』だけど「おぬい」というのは記憶に残ってないな。漱石『虞美人草』のお糸さんは今でもくっきりとイメージに残ってるんだけど。(ただしTBSだったかでドラマ化されたときの配役は知らない)

2008年9月17日

エジプト十字架の謎の謎

東京創元社のメールマガジンによると、11月以降の刊行予定の中にエラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』の「新版」というのがあるらしい。

ただし井上勇訳。とすると新訳というわけではないらしい。

単にカバーが新しくなっただけのだろうか。まさか絶版状態だったわけでもないだろうから復刊とも呼べず新版扱い。でもそうなると他の国名シリーズとのバランスはどうなるんだ。

一番ありそうなのは「活字が大きくなりました」といったあたりだろうか。といいつつ、本命としては「扉ページの紹介文を改訂しました」をもってきたい。あのあまりにもあからさまに伏線を指摘してしまってる文章はかなり読者の興をそぐからねぇ。

2008年9月5日

長い長い眠り

結城昌治『長い長い眠り』(創元推理文庫)読了。

まいった。最後まで犯人がわからない。わからないけど当てることはできる。「たぶんこいつだろう」と思って読み返すと、たしかにそれらしい暗示がいくつかある。が、あくまでも理詰めで真犯人に到達しようとするなら、その手がかりは容易には見出すことができず、かなりの苦戦を強いられる。

殺害方法のトリックが素晴らしく、みごとに伏線が張ってあったのには感動した。

このひとのミステリは一見して叙述トリックを思わせるような箇所がトリックでもなんでもなく、ほんとになにげなく読み飛ばしてしまうところにズバリ正攻法で伏線が張ってあるので一筋縄ではいかない。

2008年8月25日

オーウェル日記

The New York Timesの記事「What George Orwell Wrote, 70 Years Later to the Day」によると、ジョージ・オーウェルの70年前の日記がblog形式で公開されているそうな。

URLは http://orwelldiaries.wordpress.com/。1938年8月9日から始まり、1942年10月まで続く予定らしい。

2008年8月17日

うん*

マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』だけど、「うんち」と訳すか「うんこ」と訳すか、その選択の決め手は何だったんだろうというのは、できれば知っておきたかったかもしれない。

2008年8月15日

忍法人名連鎖

『別冊文藝 山田風太郎』の中に唐沢なをき「唐沢直樹(14)、山田風太郎をヨム」という漫画が載っている。

唐沢少年には小説の登場人物に俳優やアニメキャラの顔をあてはめながら読むという癖があったそうで、その一例として『甲賀忍法帖』の

陽炎はなぜかルパン三世の峰不二子なのだ.(声はもちろん二階堂由紀子)

というキャスティングが挙げられている。(由紀子じゃなくて有希子だけど)

ここで「なぜか」の語は本来不要だ。「陽炎=峰不二子」という取合せは決して思いも寄らないものではなく、むしろ誰もが「さもありなん」と思うだろうからだ。

しかし「声はもちろん二階堂」というこだわりには「お、そうなのか」と注目せざるをえない。

なぜなら私は、実は不二子役の声優が、二階堂さんだったのは第1シリーズだけであり第2シリーズからは増山江威子さんに代わっていたということを大人になるまで知らなくて、ストーリーやキャラクター造形はいざ知らず、こと不二子の声に関しては子供時分は全く違和感なしに第1シリーズも第2シリーズも観ていたからなのである。

それには増山さんの声がキューティーハニーやらバカボンのママやらで慣れ親しんだものであったせいもあるだろうし、今なら確実に聞き分けられるにちがいない第1シリーズの不二子の声の翳りを帯びたアダルトさに対して当時はきわめて鈍感だったせいもあるだろう。

その違いを、唐沢直樹(14)は、リアルタイムで識別していたらしいのである。

さて、ウィキペディアによれば二階堂さんは今ではあの「クイズハンター」の柳生博夫人となられているそうだ。はて、柳生?

なんと、その柳生博についての記述の中には「剣豪として有名な柳生一族の末裔である」との一文があるではないか。風太郎忍法帖で言えば『柳生忍法帖』その他諸々の、あの柳生である。

甲賀の陽炎→(峰不二子)→(二階堂有希子)→(柳生博)→柳生一族、という摩訶不思議な連鎖。唐沢なをき、げに恐るべし。

8/15

図書館から借りてきた『別冊文藝 山田風太郎』(河出書房新社)を拾い読み中。

敗戦の日だからというわけではないが、谷口基というひとの文章「滅失の神話」が、短いながらも山田風太郎という作家の一面を見事に捉えていて感銘深い。

2008年8月14日

物しか書けなかった物書き

ロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』(河出書房新社)を図書館から借りできて読了。

EQMM等で活躍した短篇専門作家とのことだが、見事にバラバラな作風でどう受け止めたらいいのかよくわからない。

わりと目につきやすいのは「誰かに操られている」というテーマがさまざまに形を変えて頻出することだろうか。それをサイコホラーやSFに越境せず犯罪小説というジャンルに踏みとどまりながらやってみせるあたりがスリリングではある。

編者の法月綸太郎による解説は整理がいきとどいていて参考になる。この人はやっぱり評論家のほうが向いてるのかなぁ。

2008年8月12日

論理は右手に

フレッド・ヴァルガス『論理は右手に』(創元推理文庫)読了。

だめだ、つまんない。『死者を起こせ』でもそうだったけど、三十すぎた歴史学者が少年のような口のきき方をするのにまず馴染めない。主役の面々がうじうじしすぎ。逆に脇役や端役は全然描ききれてない。

訳者あとがきによれば原題は邦題とはやや違うそうで、原題に込められた意味は丁寧に解説されているものの、ではなぜその原題を捨ててまで別の邦題をつけたのかは不明。

作品の出来についてはあまり触れられておらず、今後はE・D・ホックのようなシリーズ物にありがちなマンネリ気味の訳出が続くのではないかという予感がしてしまう。